第4回


元号「平成」と西安碑林の開成石経

(2019.1.10)



  
 「平成」も残すところあと僅かになりました。小渕官房長官( 当時)が記者会見で毛筆で書かれた「平成」 の二文字を発表したときが、 つい最近のことのように蘇ってきます。 まだバブル経済真っ盛りで、経済規模(GDP) もアメリカに迫る勢いだったあの頃の日本。 経済も何もかもがずっと右肩上がりと誰もが信じていた時代ではな いでしょうか。きっと皆が「平成」 という新たな時代の幕開けに大きな希望を持っていたことでしょう 。しかし、平成の時代は、 なかなか文字通りにはいかない時代でした。 いや平成だけでなくどの時代も相応の苦難があるのかもしれません 。昭和だって、私が知っている昭和は平和で豊かで高揚感のある魅力的な時代でし たが、昭和の前半を生きた人たちにとっては、太平洋戦争と敗戦、 そして戦後の食うものにも苦労した、 とても厳しい時代だったのかもしれません。他方、平成は、 バブルが弾け、経済は停滞し、 大災害やテロも起こる厳しい時代でしたが、個人的には、 青春時代を過ごし、初恋、大学合格と初めての一人暮らし、就職、 結婚、そして息子の誕生など、 幸せな思い出の大半を占める時代でもあります。おそらくは、次の時代で経験できる幸せより多くの幸せを平成で経験したことに なるでしょう。そう考えると、「平成」 は私にとっては輝かしい時代と言えるかもしれません。

 少し前置きが長くなりましたが、「平成」 という元号は何がもとになっているかご存知でしょうか。意外と知られていませんが、これまでの日本の元号は、 その多くが中国の五経(「礼記」「詩経」「書経」「易経」「 春秋」)から選ばれています。「平成」自体も、 いきなり候補に挙がったというわけでなく、 江戸時代には既に元号候補として採り上げられていたようです。「 明治」に至っては、 江戸時代も含め10回以上候補として挙がったとされています。 その他の元号も大半が五経に由来します。「平成」 の元になったのは、書経の中の尚書にある「地平天成」 という語です(「百姓(ひゃくせい)昭明なり。 万邦を協和せしむ」)。

 さて、 なぜ拓本コラムなのに元号の話なのか不思議に思われた方もいらっ しゃるのではないでしょうか。実は、 この尚書をはじめとする文章は、碑林博物館の第一室に「 開成石経」として保管・展示されています。読み方は「 かいせいっきょう」ではなく「かいせいせっけい」です。 唐代に作られました。開成二年に作られたため「開成石経」 と呼ばれています。「周易・尚書・毛詩・周礼・儀礼・礼記・ 春秋左氏伝・公羊伝・穀梁伝」の九経の他に、「孝経・論語・ 爾雅」が含まれ、12経で構成されていましたが、 清代に石経の欠字が補完され、かつ「孟子」が新たに加わり、 計13経114石(表裏合わせて228面)となりました。 全ての字数を合わせると65万字超になるとされています。明代( 嘉靖34年)と嘉靖42年) の2度の大地震でこの開成石経の碑石が倒れるなどして半数近くが 破断してしまいました。 現在は倒れないようコンクリートで壁に張り付けられています。

 この開成石経は西安碑林の第一室にあります。第一室は広く、 正面入口から左右にのびています。 同じような字体の碑が延々と建っていることもあり、 見学者は他の部屋に比べて少なめです。西安碑林には、 顔真卿の顔氏家廟碑や顔勤礼碑、欧陽詢の皇甫誕碑、 王羲之の書を集字した集字聖教序など著名かつ貴重な碑が数多くあ るにもかかわらず、なぜこの開成石経が、 それらを差し置いて第一室に鎮座しているのでしょう。 その理由は西安碑林の成り立ちにあります。西安碑林は、宋の呂大 忠が、 西安の城壁そばで荒れ果てていた開成石経を保護するために、 孔子廟跡に移したのが起源とされています。その後、 各地にあった碑が集められ、 次第に碑林として位置づけられるようになりました。つまり、 開成石経は西安碑林の「ご本尊」的な碑なのです。 こういう経緯もあり、開成石経以外の貴重な碑の多くは「第二室」 と「第三室」に収められています。 開成石経はそれらの著名な碑よりも「格上」なのです。

 因みに、元号「平成」のもととなった「地平天成」 という文字が書かれている尚書は、 第一室の正面入口のから入って右の方向につきあたりまで進み、 さらに右に曲ったところの区画の丁度半分くらいの場所にあります 。ドアが開放されていますが、そのドアが場所の目印です。 尚書は巻第一から順に書かれていますので、巻第ニを探し、 2段目を読んでいくと見つけることができます。因みに、 さらにその下の段には、「昭和」のもとになった「百姓( ひゃくせい)昭明なり。万邦を協和せしむ」という文があります。

 「昭和」のほかに、「光文」「大治」「弘文」「上治」 などが候補として検討されたとされています。真偽はさて置き、 一時は「光文」で内定していたようで、 東京日日新聞がリーク記事を号外で出したことで、直前に「昭和」 に差し替えられたとも言われています。 結果的に東京日日新聞の記事は歴史に残る大誤報となってしまいま した。上述のとおり、 元号は何度も候補に上がった末に採用されているケースが少なくな いようですので、これら(「光文」「大治」「弘文」「上治」) も可能性ゼロとは言い切れません。新元号が公表されるまでですが、開成石経を見ながら、 自分だけのイチオシ新元号を探してみるのも悪くないでしょう。
開成石経の拓本は建心コレクションにも掲載しています。 もちろん全てではありません。 拓本がまとまって売りに出されることは殆どなく、 仮に全てを揃えようとすれば数千万円の費用がかかると言われてい ます。 碑石は少なくともここ40年は全て固定のガラスケースで覆われて おり、新たに拓本が採られることはありません。 新しいものでも開放前のものになります。

 ここに掲載した拓本は、 民国以前あるいはもう少し古いもののようで、 墨色は艶やかな中にも落ち着きのある黒で、 紙質からも古さが窺われます。 何せ古さから折り目が破れていたりします。ただ紙を慎重に伸ばせばほぼすべての字が回復できるようです。 裏打ちして補修したい衝動に駆られますが、 当面はマクリのままで保管する予定です。字体は初唐の三大家の書のような端麗さこそありませんが、 非常に品のある格式高いものです。

 最後に一点補足ですが、「平成」 はここで紹介した書経尚書のほか、もう一つ、「史記」 五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」 にも由来するとされていることを付け加えておきます。
 


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